登米(とよま)散歩

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北上川下流方向を臨む
登米大橋と北上川:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

「戦後日本 雑誌の興亡に祖父の名」(http://observation.jp/diary/bonjinsya/)に書いた祖父の記事を読んだからか、2002年に祖父の故郷である宮城県の登米を訪れた際の写真が出てきた。
登米を散策した様子を写真と共に紹介しようと思う。

登米(とよま)について

登米(とよま)は、奈良時代以前から、この地に「遠山(とおやま)村」という村があり、これが「登米(とよま)」の語源とされている。
2005年(平成17年)4月に、9町の合併により登米市(とめし)が発足し、宮城県北部、岩手県との県境にある。

出身有名人は、
・石ノ森章太郎(漫画家)
・大友克洋(漫画家)
・サトル・サトウ(佐藤 達fr:Satoru Satō )(造形作家)
・佐々木更三(元日本社会党委員長)
・丸山権太左衛門(力士)
などが名を連ねている。

Wiki(http://ja.wikipedia.org/wiki/登米市)では、
宮城県の北部に位置し、栗原市と本吉郡の間にあり、岩手県と境を接する。古くから米の名産地として知られる市である。冬には伊豆沼・内沼、市内中心部を流れる迫川などに多くの渡り鳥が飛来する。気候は2000年の年平均気温は11.7℃、年間降水量は1,020mm。市名の読みは登米市(とめし)であるが、市内の登米町は(とよままち)と読む。
と説明されている。

登米の歴史と祖父

登米は1189年に 奥州藤原氏滅亡後、葛西三郎清重が現在の岩手県南から宮城県北上川流域を所領に封ぜられ、鎌倉~戦国時代 に葛西氏一族がこの地域を領有。そして登米寺池城に本拠をかまえることになった。
戦国時代末期、葛西氏は伊達氏から跡取り養子を迎えるなど、伊達氏と密接な関係が作られるが、1590年、「東北地方の南半分を征服」した伊達政宗が豊臣秀吉に服属したことで、秀吉の「日本統一」が達成され、秀吉の奥州仕置により葛西氏は滅亡してしまった。
1601年、関ヶ原の戦いで徳川方についた伊達家は仙台藩となり、現在の登米市は仙台藩の一部となった。伊達政宗の部将、白石宗実の子、白石宗直は政宗から「伊達」の姓を賜り、寺池城(旧・登米町(とよまちょう))に入って登米伊達氏の祖となった。
この時に、祖父の先祖は関ヶ原にて豊臣方の弓矢の名手として名を馳せていたそうで、上記の通り秀吉とも関わりのあった伊達政宗に引き抜かれ、処々の事由で登米伊達氏の下に置かれることとなったそうだ。
その後の関わりは情報が無く分からないのだが、1663年 寺池館主伊達式部宗倫と涌谷館主伊達安芸宗重との間に所領争いがあり、後の寛文事件(伊達騒動)の火種となった辺りから、旧登米警察署の向かいで「いとや」という反物問屋をはじめたそうだ。
「いとや」は祖父の代で閉められてしまい、既に手放され今は朽ちた姿となってしまっている。

登米(とよま・とめ)散歩にあたって

歴史資料館(5館)ごとに入館料を払うこともできるが、 共通観覧料がお得だ。
共通観覧料は各施設で払うことが可能。
歴史資料館は懐古館・教育資料館・警察資料館・水沢県庁記念館・伝統芸能伝承館の5館

観覧料一覧

  教育資料館単独観覧料
旧登米高等尋常小学校
歴史資料館(5館) 共通観覧料
(懐古館・教育資料館・
警察資料館・水沢県庁記念館
・伝統芸能伝承館五館共通券)
  個 人 団体
(20名以上)
個 人 団体
(20名以上)
一 般 400円 320円 800円 640円
高 校 生 300円 240円 600円 480円
小・中学生 200円 160円 400円 320円

旧登米警察署と「いとや」

旧登米警察署
旧登米警察署:2002/10/18撮影 使用機:LEICA digilux

「明治22年竣工した建物で明治の洋風事務所建築としては極めて珍しく、警察庁舎としては県内唯一のものである。
木造2階建、下見板張り、ペンキ塗、寄棟の瓦葺である。突出した玄関は上下共吹抜けて、2階のバルコニーは遠見台ともいわれ、屋根はペデメントで鬼瓦がのり、白壁には今も金色の警察紋章が燦然と輝いてる。
柱には堅溝壇彫りをつけ柱頭はアイオニックオーダーで飾っている。
設計者は国指定重要文化財旧登米高等尋常小学校校舎と同じ宮城県技師山添喜三郎氏で、総体の調和もよく、手法堅実、奇をてらわない建物である。 日本宝くじ協会」
案内板原文まま

この建物は、明治二十二年(1889)の建築で昭和四十三年(1968)まで登米警察署として使われ、
昭和六十三年(1988)に復元された後、宮城県指定重要文化財・日本唯一の警察資料館として公開されている。


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登米警察署:http://www.police.pref.miyagi.jp/hp/tome/index.html 公式ホームページ

いとや 表側外観
いとや:2002/10/18撮影 使用機:LEICA digilux

6~7年前の撮影で、当時は既に手放してしまった土地、建物であるため現存しているのか不明だが、既に人が住んでいなかったこともあり、色々とポスターが貼られてしまってみすぼらしい姿となってしまっていた。

中は反物問屋らしく土間が広く作られており、二階窓も非常に良い作りだった。
中に入ると土間の奥に居間があり、昔は厨子や鏡台など置かれていたそうだが、手放すに当たり掃除に入った際には既に荒らされ、ものが無くなってしまっており、祖父が悲しい顔をしていたのを思い出す。

母屋の奥には裏手からも見えるナマコ壁の蔵があった。


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海鼠(なまこ)壁の蔵

海鼠(なまこ)壁の蔵
なまこ壁の蔵:2002/10/18撮影 使用機:LEICA digilux

登米では海鼠(なまこ)壁の蔵を多く見かける。
なまこ壁とは、建物の耐火・耐水性向上のため、瓦を張りその間を漆喰で止めた工法で、盛り上がった漆喰の断面が海鼠(なまこ)のようなので、この名で呼ばれるようになったといわれており、この地域に限らず時々見かけますが、このように壁一面が海鼠(なまこ)壁である蔵は登米でも珍しい。

かくやま旅館

紹介しているエリアの散策に使ったのは、祖父の代からひいきにしている「かくやま旅館」
登米市登米町寺池桜小路54
【電話番号】 0220-52-2502
【FAX番号】 0220-52-3607

非常に庶民的な旅館です。温泉や料理に期待せず、町の散策の拠点としてベストかと・・・

かくやま旅館
かくやま旅館:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux


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保呂羽(ほろは)城址

保呂羽城は登米小野寺氏が城主となり、小野寺氏の嫡流で下野小野寺より下向。南朝を支持。
文頭の通り鎌倉~戦国時代に葛西氏の登米入植により登米小野寺氏が城を譲り、寺池城倉庫番役を務めたのち、石越町や一関(岩手)に移住したといわれている。
寺池城氏葛西氏が牡鹿・石巻そして岩手県南部を睥睨した保呂羽城址


葛西氏の菩提寺龍源寺

葛西氏の菩提寺である龍源寺
龍源寺:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux


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保呂羽(ほろは)城址へは、龍源寺から北上川を背にしてしばらく歩き、


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上記地図の辺りから山を登って行く

保呂羽(ほろは)城址に続く道 1
保呂羽(ほろは)城址に続く道:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

保呂羽(ほろは)城址に続く道 2
保呂羽(ほろは)城址に続く道:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

このまま進んだが、浄水場があるくらいで、特に史跡も見当たらず・・・
登米神社に参拝をした。
ふもとの養雲寺裏手に、登米伊達家の御廟があるそうで、葛西家の菩提寺龍源寺の裏手に保呂羽(ほろは)館の史跡があるそうだ。
登米神社の公式ホームページ内の「当社までのアクセス」(http://www.toyoma.org/about/access.html)に大まかな場所が記載されている。

登米神社

登米神社
登米神社:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux


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登米神社の由来は古く、源頼義に始まる。

登米神社の由来

【由緒】
八幡宮は天喜年中鎮守府将軍源頼義が賊徒征伐の時、鏃(ヤジリ)を神体として戦勝を祈願した辺室山の浄地に、康平五年(1064年)頼義の嫡子義家が、山城国鳩峰に鎮座せる岩清水八幡宮を勧請分遷したもので、後世その地を八幡崎と呼びました。
丈治五年(1189年)藤原泰衡没落後、葛西三郎清重がこの地を頒有するに方り、八幡宮を七群の総鎮守葛西家累代の守護神として尊崇しました。
天正十八年(1590年)葛西家散亡の運命となり慶長九年(1604年)仙台藩の伊達相模守宗直が本領主として移城するにおよび同十一年(1606年)八幡宮を八幡崎から寺池道場山麓に遷座しました。
さらに享保七年(1722年)六代伊達村永が社殿を現在の山上に移築し、歴代領主の守護神として尊敬し引き継がれました。
明治六年(1873年)当地に水沢県庁があったとき八幡宮とその傍らに鎮座せる住民の深く信仰する稲荷神社を合祀して県社改称し昭和二十七年十一月宗教法人登米神社と改められました。毎年春四月二十日・冬九月十五日を祭日として町を挙げて盛大に祭典が行われています。
【原文一部(伊達相模守宗○>伊達相模守宗直)に修正】

神社には手毬を持った狛犬が

登米神社の狛犬
登米神社の狛犬:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

登米神社の狛犬
登米神社の狛犬:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

登米神社(通称:はちまんさま)公式ホームページ
http://www.toyoma.org/index.html

本覚寺

本覚寺の本殿
本覚寺の本殿:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux


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登米は北上川沿いに本覚寺、葛西家の菩提寺龍源寺、専称寺、登米八幡神社、そして伊達家菩提寺養雲寺がある。
その内一番北上川沿いにあるのが、本覚寺である。
特に由来などは伺っていないが、山門を入ると大きな足型の窪みのある岩があり、その足跡は武蔵坊弁慶の足跡という話だ。
登米神社の由来を見る限り、有り得そうな気もしてくる。

本覚寺の裏山を登る
本覚寺裏手の山道から本殿を見下ろす:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

本覚寺の裏山に先祖代々の墓がある。当時は既に寺の周辺に近代的な墓が随分と立ち並んでいたのが、なんだか古きが中途半端に崩れた田舎らしさを醸していたが、一歩裏山に入れば、時間の重さと荘厳さを感じる不思議な空間となる。

瑞昌院殿分岳妙本大姉の墓

本覚寺裏手の山にも伊達家ゆかりの跡がある。

瑞昌院殿分岳妙本大姉の墓
瑞昌院殿分岳妙本大姉の墓:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

瑞昌院殿分岳妙本大姉の墓の由来
瑞昌院殿分岳妙本大姉の墓:2002/10/20撮影 使用機:LEICA digilux

瑞昌院は仙台藩主二代忠宗公の側室で登米伊達氏四代宗倫君(高台院)の実母で織田信長の弟織田有楽斎(茶人)の孫にあたる。
忠宗公の死去後五代村直君の元禄二年(1689)館山に喜庵館が再建されたのでここに住むことになり元禄七年(1694)四月十五日八十五才の天寿を全うして没した。
生前本覚寺七代住職運哲上人に帰依していたので翌年四月十五日瑞昌院の一周忌に村直君は一貫文の寺領を本覚寺に寄進しここに葬った。
【原文一部(○依>帰依)修正】

うなぎ割烹 東海亭

東海亭の看板
東海亭:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

本覚寺から北上川沿いに登米大橋方向へ少し歩くと、
1875年(明治8)創業の老舗。身の厚いうなぎを白焼きにして蒸し、歴史を重ねた秘伝のタレで香ばしく焼き上げるうなぎ割烹の東海亭がある。

北上川土手から臨む東海亭
東海亭:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

北上川の土手から見ると、どでかい鰻(うなぎ)籠に驚く。
ネットで検索すると、現在は随分ときれいになってしまっているようで、この鰻(うなぎ)籠がまだあるのか、味が変わっていないのかわからないが、山形県鶴岡市より130年の米蔵を移築するなどし、JAZZまで流れてしまう店舗になってしまったようだ・・・


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「うなぎ割烹東海亭」
宮城県登米市寺池九日町57
TEL 0220-52-2023
11~14時、17~19時
休み 第1・3月曜(祝日の場合は翌日)
うな重:1,650円
うな丼:1,250円
2段重:2,700円
値段変わっていると思いますが・・・

海老喜商店・ヤマカノ醸造

醤油屋
醤油屋:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux


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創業が天保四年という超老舗の海老喜商店、味噌・醤油・酒を製造販売している。
登米には他にも「ヤマカノ醸造」があるように、醤油・味噌作りが盛んな街でもある。

海老喜 公式ホームページ(http://www.ebiki.com/)

エビキみそ 4kgダンボール入

エビキ登米みそ 1kg

ヤマカノ醸造第三工場
ヤマカノ醸造第三工場:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

本社がお買いものなんかではメインらしいが、個人的には旧宅に近い第三工場が好みだったりする。
散歩ルート的にも丁度良い。

最近は醤油だけでなくポン酢なども作っているようなので、新鮮なポン酢が現地で手に入れば料理の腕もふるいがいがあるだろう。
さらに醤油・味噌・ポン酢などに加えて、登米出身の石ノ森章太郎氏にちなんだ仮面ライダー味噌なるものも販売している。

その仮面ライダー味噌に加えて、「つゆ」・「ぽん酢」・「辛子みそ」もセットで、「仮面ライダー新1号」実写版プリントがラベルになっているギフトセットがこれだ

ヤマカノ醸造 仮面ライダーギフトセット
[宮城県/ヤマカノ醸造]仮面ライダーギフト


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宮城県登米市登米町寺池金谷15

ちなみに本社は、

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宮城県登米市登米町寺池九日町1

ヤマカノ醸造の見事な海鼠(なまこ)壁

ヤマカノ醸造の見事な海鼠(なまこ)壁の蔵
ヤマカノ醸造第三工場の蔵:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

周辺

ヤマカノ醸造第三工場前を北上川方向に向かって撮影
ヤマカノ醸造第三工場前北上川方向:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

ヤマカノ醸造第三工場前にて北上川を背にして撮影
ヤマカノ醸造第三工場前北上川を背にして:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

ヤマカノ醸造公式ホームページ
(http://www.yamakano.co.jp/)

[宮城県/ヤマカノ醸造]登穀味噌2kg【朱樽入】

[宮城県/ヤマカノ醸造]わが家の手前味噌【4kg樽入】

[宮城県/ヤマカノ醸造]仙台幸子ギフト

知る人ぞ知る銘品:松笠風鈴

松笠風鈴
松笠風鈴製造本舗 江雲堂:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

ヤマカノ醸造第三工場を右手に、北上川方向へ進むと、「松笠風鈴製造本舗 江雲堂」がある。
こちらも古くからあるお店で、松笠風鈴とは掲げられているが、風鈴のみでは無く金工細工が多く並べられている。
1572年(元亀2年)近江国より奥州登米の里に移られ、1661年(寛文元年)4代目江田次郎右衛門源金氏が鋳物を創業し、安永年間に10代目が風鈴を手がけ、形が松笠に似ている所から松笠風鈴と命名される。
1781年(天明元年)には伊達家御用鋳物師の命を賜り、武器、仏具、鋳物一式の鋳造を家業とし、今日で22代目江田嘉茂左衛門を継承するといった名門である。
生産量も松笠風鈴で年間500~600個程度で、愛用者には地元出身の石ノ森章太郎氏をはじめ、最近はケータイ小説でも有名な寂庵(瀬戸内寂聴)氏、驚くことノーベル平和賞を得られたアルベルト・シュバイツァー氏もいるという。
どういった経緯でシュバイツァーが手に入れたのかはわからないが、博士が住むアフリカ・アドリナノンゴの家にも松笠風鈴が飾られていたと「シュバイツァー」(山本和夫著・偕成社)に書かれていたという。


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松笠風鈴製造本舗 江雲堂
宮城県登米市登米町寺池金谷17-1
TEL&FAX 0220-52-2038

南側をぐるっと散策したので、北側に進んでみる。

武家屋敷の佇まい

武家屋敷であった名残の道
武家屋敷の名残:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux


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地図で見るとわかるとおり、北側にある寺池城址に向かって一直線では無く、クランクをしている。

武家屋敷の名残の道
武家屋敷の名残:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

このようにクランクした道沿いなど、所々に門や壁板に飾掘りされた武家屋敷が点々と立ち並ぶ。

武家屋敷跡
武家屋敷の入口:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

武家屋敷「春蘭亭」は喫茶コーナーもあり、武家屋敷内部も見学可能。
向かいには荘厳な門のある熊谷邸などもある。

武家屋敷 春蘭亭
登米市登米町寺池桜小路
TEL:0220-52-2960
開館時間・休館日などは不明のため、電話にてお問い合わせください。


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寺池城址・寺池館跡

武家屋敷の名残を感じながら道を南に進むと、寺池城址がある。
寺池城は館山と呼ばれる、丘陵にあった平山城で、臥牛城といわれていたという。
文頭の通り、中世は葛西氏の居城であったが、後に登米白石伊達氏の居城となった。
藩政時代に登米は伊達2 万1千石の城下町として、さらには北上水運の川港として栄え、その中心が寺池城であった。
現在は城址公園として整備されているが、残念ながら石垣が残る程度で往時を偲ぶ遺構は現存していないものの、逆に建造物が無い分ここから見渡す登米市街の風景から往時を偲ぶことができる。

寺池城址への道
寺池城址:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

寺池城址と奥に見える懐古館
寺池城址と奥に見える懐古館:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

奥の木々に隠れているのが、懐古館である。
登米町日根牛出身で元日本鋼管社長東北開発会社初代総裁などを歴任した渡辺政人氏によって昭和36年、建設・寄贈された建物で、
祖父の代に「いとや」の蔵から出てきた伊達ゆかりの品々も展示されている。
祖父没後筆者が引き受けることになったのだが、全く訪れることができていないのが気がかり・・・

登米懐古館
登米市登米町寺池桜小路103-9
TEL:0220-52-3578
開館時間:9:00~16:30
休館日:無休


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寺池館跡
寺池城館跡:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

寺池城址公園入口
寺池城址公園入口:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

旧登米高等尋常小学校

JRのポスターにもなった「旧登米高等尋常小学校」で散歩は終わり。
祖父が通っていたという旧登米高等尋常小学校は、宮城県建築技師となった山添喜三郎氏の設計によるもの。
建物全体としては洋風の中に部分的によく和風の技法を取り入れた和洋折衷の木造建築物であり、この時代の学校建築を代表するもので、当時の形をそのままよく残している点非常に貴重なものといわれている。
木造2階建てのこの校舎は、吟味された材料を用いた誠に堅牢なものであり、教育の場とあいても機能的、合理的な面が多く見られる。
また凹字型に内庭を抱えている姿は、なんとなく温かさが感じられ、いかにも学校らしい和やか雰囲気を持つ建物である。建物の平面の形は東西に長さ23間(41.8m)の校舎を中央として、東西両翼に長さ11間(20m)の建物をそれぞれ南へ突き出して凹形にしてものである。
全体は木造素木造り二階建で、建築面は255坪(641.7㎡)、延床面積487坪(1607㎡)である。昭和56年に国の重要文化財に指定されている。
旧登米高等尋常小学校は明治21年(1888)に建てられ、外壁は下見板張りで、屋根や寄棟が瓦葺となっている。
玄関部分のみ白く彩色され、屋根が切妻で妻面を正面にし正面性をだしている。
玄関周りの柱の上下にはギリシャ風の柱飾りが施されており、2階にはバルコニーが設えられ手摺や破風などに当時の洋風建築の要素を取り入れているのがわかる。

【館内説明文引用】

旧登米高等尋常小学校校舎 正面
旧登米高等尋常小学校:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

旧登米高等尋常小学校 下駄箱
旧登米高等尋常小学校:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

左右の多角形の建物内部天井の梁

旧登米高等尋常小学校 多角形内部の梁
旧登米高等尋常小学校:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux

旧登米高等尋常小学校の二宮尊徳像
旧登米高等尋常小学校の二宮尊徳像:2002/10/19撮影 使用機:LEICA digilux


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ぐるりと登米を回った2002年、今はまた変わってしまっているだろう。
瀬峰~佐沼~登米間に開設されていた仙北鉄道登米線は1968年に廃止され、石越と細倉マインパーク前(栗原市)との間を結んでいたくりはら田園鉄道線も2007年(平成19年)3月をもって廃止されてしまったため、陸の孤島と化しつつあるが、
気仙沼線の瀬峰駅、新田駅、石越駅からタクシーなどで1時間、東北新幹線くりこま高原駅からタクシーなどで30分かけて行くか、
車で東北自動車道、築館インターチェンジ、若柳金成インターチェンジから行くといった方法がある。
現在、築館インターチェンジ付近から市内を横断し登米インターチェンジ(予定)を結ぶ高規格道路が建設中とのことなので、これができると車で行くのも大分楽になるかもしれない。

周りに同意してくれる人が少ない上に、東京じゃぁ非常に手に入りにくい好物の「油麩(あぶらふ)」も手に入れたい。
油麩はっと、油麩丼が恋しいし、久々に行ってみたい場所です。

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